旦那に隠れてジャニヲタの日々

Hey!Say!JUMP大好きOLのオタク日記。中島担/25over/東京

中島裕翔の初主演舞台「WILD」を観劇!感想と考察

2019年4月28日からスタートした、Hey!Say!JUMPの中島裕翔くん主演舞台の「WILD」。

 

私は有難いことに舞台2日目である29日にチケットが当たったので、早速観劇してきました。

 

初のグローブ座。事前に口コミなどで見ていた通り、キャパ狭い!私は2階席の最後列でしたが、肉眼で全然いけました。一応双眼鏡持って行ったので、使いましたが、ドアップになってピンポイントでしか見られないのでほぼ使いませんでした(ただ、裕翔くんの口の動きとか瞬きまで確認したい場合は双眼鏡必要)。

双眼鏡を持っていく場合、双眼鏡の申請を会場でします。申請って言っても、持っていった双眼鏡を見せて、座席番号を控えるだけ。多分、双眼鏡にカメラとか仕込んでないかみているのかな?

 

さてさてWILDの感想ですが、結論からいうと、私は大好き!な話でした。正直意味わかりません。でも、私はその意味わからない話を咀嚼して自分に落とし込むことが好きなので。

ドラマでいうと、SPECの大ファンで、SPECも映画とか超意味不明じゃないですか?それをうんうん考えるのが好きなんです。

WILDもそんなかんじ。あまりいうとネタバレになってしまうので、ネタバレ系(話の内容は言わないよ)はこの記事の下は書きますね。

そして、3人しか登場人物がいないのに、あれだけ喋り続けて集中力を切らさずに役に入っていて、3人とも本当すごい。舞台中盤頃からは、裕翔くんを裕翔くんとしてあまり認識しなくなるくらい、裕翔くんはアンドリューでした。裕翔くん、100分の時間ずーーーーーっと出っ放しですよ。あの人凄すぎるよほんと。

 

WILDは、ジャニヲタじゃなく、舞台好きが観ても興味の湧く舞台だと思います。それくらい、演者の熱量が伝わってきます。

 

そして、舞台観に行かれる方は、絶対にパンフレット買った方がいい。できれば舞台が始まる前にざっくり読んでおくと、舞台の理解が深まるかと。舞台終わったあとは、演者や監督の思いを知りたくてすぐにでもパンフレットを読みたくなること間違いなしです。

 

 

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ここから内容考察のため、ネタバレ含みます。

閲覧は自己責任でお願いします。

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WILDですが、正直序盤はちょっと退屈でした。話に盛り上がるポイントがなく、アンドリューとミスプリズムの掛け合いを見させられてるっていう気分でした。

ただ、そこは演者の力でしょうね。30分を過ぎたあたりから、ふたりの掛け合いが興味深く思えてきたのです。

自分のやってしまったことに正義感を持ち世界への疑問を定義し、確信的な話がしたいアンドリュー。

アンドリューのやってしまったことがあまりにも大きなことだと知りつつも、確信的なことは話さずアンドリュー自身のことばかりを知りたがるミスプリズム。

このちぐはぐなやりとりは、何を意味しているのだろうか。

そして、ミスプリズムが部屋を出たあとにやってくるジョージは、ミスプリズムとは打って変わって、アンドリュー自身のことには興味がなさそうに、なんだか部屋の中を隅々チェック。

ミスプリズムとジョージの両極端な態度も、どういうことなのだろうか。

 

そして、ミスプリズムとジョージのどちらかが嘘をついている?ということに関しては、公式サイトやパンフレットによって、どちらかが(アンドリューにとって)善人でどちらかが悪人、だと思いこみ、どっちが嘘をついている悪人なのかということを舞台をみながら必死に探していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう、これがWILDというストーリーが伝えたかったことだと私は思っています。人間は皆、自分のフィルターを通して物事をみていて、善悪の判断、信用性の判断、すべて「自分の思い込み」からジャッジしている。ミスプリズムが自傷行為をすれば信頼に値する、なんて、アンドリューの人を信用するフィルターでしかないです。

 

ミスプリズムとジョージの両極端な態度も、「こういう態度、行動をとっているから、この人は嘘をついていそう」と私も勝手に考えていました。果たして、その自分勝手なジャッジは、本当に正しいのか?それを考えなさい、ということを言っている話なのかなと。

 

モデルとなっているスノーデン事件で、張本人のエドワード・スノーデンは自分は絶対に正しいことをした!と思っているかもしれません。でも、政府に見張られていることが逆に安心感に繋がると思う人もいれば、政府に個人情報を不正入手されても何も思わない人もいる、ということは、舞台でも言っていましたね。

 

 

最後の衝撃的なシーンは、まさに究極の問いかけです。今、あなたの目の前にいる人は、本当に女なのか、人間なのか、そもそも実在しているのか、それさえ実は曖昧なのかもしれないよ、と。

 

だから、何が言いたいの?と思うかもしれませんが、私はこう咀嚼しました。

超曖昧な世界に私たちは生きている。じゃあ真実は何なのか?…それは誰にもわからないのかもしれない。わかる人がいれば、それは"人知を超えている"のです。では、ただの人間である私たちはどうすればいいのか。それは、"世界とはそういうもの"と認識することが大切なのだ。自分がいる世界にはいろんな人がいて、様々な考え方があって、その中の一つが自分であると認識できたとき、アンドリューがホテル(もどき)の部屋のドアを開けたように、新しい世界(違う世界)に踏み出していけると。

WILDの教えからすると、この私の解釈もたくさんの人たちの考え方のひとつでしかないし、正解でもないということですね。

 

 

アンドリューが結局どうなったのか、というのは観客に委ねられた終わり方でした。でも、モデルとなったスノーデン事件は、無事にロシアに亡命したということなので、きっとアンドリューも亡命できたのではないでしょうか。(しつこいようですが、これも考え方のひとつでしかないですね)。

 

 

そして、私が疑問に思っていたのは、「WILD」という舞台の名前。この舞台はワイルド要素ゼロじゃないですか。これ、セクゾの「MILDも地球の裏側じゃWILDになるよー♪」じゃないですが、そういうことなのかなと。

たった一字、上下をひっくり返しただけで、真逆の意味になるのです。世界って、世の中ってそんなものだよ、と。何が上で何が下か、正か誤か、良か悪か、見方次第。自分がどう思うか。そしてそれは実に曖昧だよってことかな。

 

最後、アンドリューが何かを得て少し先の未来を見据えているかのように、安堵感と希望をうっすらと感じさせる表情をしていたのが、なんだか私もほっとしました。

 

 

この考察は私の考えでしかないので、早くヲタ友さんたちと話したい!